大判例

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東京高等裁判所 平成4年(ネ)4703号 判決

控訴人(被告)

下重しず子

被控訴人(原告)

田辺桂子

主文

一  原判決主文第一項中金八六万〇三二〇円及びうち七一万〇三二〇円に対する平成二年六月五日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を命ずる部分を取り消す。

二  被控訴人の右取消に係る部分の請求を棄却する。

三  控訴人のその余の控訴を棄却する。

四  訴訟費用はこれを三分し、その一を控訴人の、その余を被控訴人の各負担とする。

事実

一  控訴人は、「原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。右取消に係る被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の主張は、本件事故と被控訴人の留年との間の因果関係並びに控訴人に生じた損害とその金額について、以下のとおり、付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人)

1  被控訴人の症状と留年との間に因果関係はない。したがつて、被控訴人主張の本件事故により被つたとする損害額のうち、被控訴人の卒業遅延(留年)に起因する損害に関するもの(逸失利益、授業料・通学定期代、卒業旅行・卒業式用貸衣装キヤンセル料)は本件事故による被控訴人の受傷と相当因果関係のないものである。また仮に貸衣装や旅行につきキヤンセル料が取られる場合であつても、その一部であり全額取り切りとされることは通常考えられないことであり、また、それを裏付ける証拠は提出されていない。

2  本件事故は制限速度をオーバーし、かつ、前方不注視で進行した被控訴人の五割以上の過失により起きた事故であり、被控訴人の損害認定にあたつては少なくとも総損害の五割が減額されるべきである。

(被控訴人)

1 被控訴人は久保内病院で七月一〇日まで診療を受け右治療は同日をもつて終了し、その際後遺症が残存していなかつたが、そのような場合であつてもその後の日常生活にさまざまな支障が残ることは通常あることである。このため、被控訴人が久保内病院の久保内医師から九月七日付で作成交付を受けた診断書(甲第四号証)では、「創の加療を平成二年七月一〇日まで続け、加療を終了す(創の加療を必要とせず。)疼痛なお残存する。」との趣旨が記載されたのである。なお、右甲第四号証の診断書は、当初からそのような記載になつておらず、当初の記載は「創の加療を平成二年七月一〇日まで続け全治す。」となつていたもの(乙第七号証中の診断書)を、九月七日の診断書交付を受けた時点で久保内医師により「全治」というような記載をすると患者がリハビリを続けなかつたり無理をすることがあるといつて、わざわざ訂正、加筆されたものである。その際、同医師は被控訴人に平成二年度内は自動車通学が必要であるとの指示を出したのである。

2 本件事故による卒業の遅延(留年)は本件事故により通常生じることのあるべき範囲のものであるから、両者間には相当因果関係ある。したがつて、被控訴人主張の卒業遅延(留年)に関する損害はすべて本件事故と相当因果関係のある損害である。

三 証拠関係は、原審及び当審記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  (争いのない事実)

原判決の事実及び理由中の「第二事案の概要」の一に記載のとおりであるから、これを引用する。

二  (本件事故による被控訴人の受傷と損害について)

原判決の事実及び理由中の第三の「争点に対する判断」の一に認定のとおりであり、また、被控訴人主張の逸失利益、授業料・通学定期代及び卒業旅行・卒業式用貸衣装キヤンセル料相当の損害を除くその余の損害については、原判決前同第三の二・1ないし5、9、10までに認定のとおりであるから、これらを引用する。

三  (本件事故による被控訴人の受傷と卒業遅延(留年)との間の因果関係について)

1  被控訴人本人の供述によれば、本件事故後、被控訴人が最後に久保内病院で久保内医師の診断を受けたのは、平成二年七月一〇日であり、以後は全く医師の診察を受けていないこと、その理由は右最後の診察の日に医師から今後診療の必要はない、以後はリハビリとして毎日五分から一〇分と徐々に時間を長くして歩くようにいわれたこと、実際にも被控訴人自身は九月七日には同病院に診察を受けに行つていないことが認められる。久保内病院の院長である久保内一男医師が平成二年九月七日付で被控訴人の診断書(甲第四号証)及び診療報酬明細書(甲第五号証)を作成しているが、これは、被控訴人の実父である証人酒井洋吉の証言によれば、被控訴人の症状は同年九月七日の時点においても歩行に障害があつたので病院へ連れて行かず自宅に待機させ、同証人と妻(被控訴人の父母)の二人だけで久保内病院へ行き、久保内医師から右診断書の交付を受けたものであるが、当初の診断の診断書には「全治す」とあつたのを削除したうえ「疼痛はなお残存する」と加筆してもらつたといい、また、その際被控訴人の両親から同医師に被控訴人の現在の症状を報告し相談したところ、同医師から被控訴人の通学は自動車によるべきと指示された旨を述べるが、患者を家に待機させてその両親だけが病院に行つて医師に患者の現在の症状を告げるだけで患者自身をなんら診察することなく患者の症状を診断できるわけでないであろうし、まして、最後の診療の後二か月もの間患者を診察していない医師が患者の行動につき被控訴人主張のような診断のもとに電車通学を避けるようにといつた具体的な指示を与えるようなことは通常の専門医の診療行為にあつてはおよそ考えられないことである。甲第四号証の診断書の記載が訂正、加筆された理由として被控訴人の主張するところによつても、九月七日に両親の報告を聞いた久保内医師が「全治」というような記載をすると患者本人がリハビリを続けなかつたり無理をするといけないからといつて、訂正、加筆してくれたものというのであるから、その際の両親の報告に基づき今後も大事をとらせようとの配慮があつたものと推察されはするが、それ以上に同時点における診察のもとでの医学的所見に基づく指示ではなかつたものと察せられる。

2  右甲第四号証以外にも、これと同じ日付の久保内医師作成の診断書(乙第七号証の四)が控訴人から提出されているところ、この乙第七号証の四の診断書と甲第四号証の診断書を比較すると、前記訂正加筆部分以外の記載部分は両者同内容のものであると認められるところ、右乙第七号証の四の診断書中の記載事項をつぶさにみると、傷病名は「下口唇裂傷、両膝足部擦過傷」と記載され、また、被控訴人が久保内病院に通院して診療を受けた期間は平成二年六月八日から七月一〇日までの三三日間で実日数一三日であること、右最終診療日の七月一〇日の時点において被控訴人の受傷は治癒し後遺症もないと診断され「全治す」と明記されており、同日をもつて診療打ち切り(中止)とされた記事が見受けられる(なお、その間被控訴人は六月一八日から七月六日まで古市歯科医院に通院して右歯牙の破折の治療を受けた(実日数四日)ことは甲第一二及び第一三号証により認められる。)。他方、甲第四号証の診断書をみると、これには症状の経過等記載欄に当初に書かれていた「全治す」の部分が削除され訂正印が押され、「末尾に「加療終了す(創の加療を必要とせず)とし最後の行に「疼痛なお残存す」と加筆されていることがその文面上明らかである。要するに、両診断書とも同日付で同医師により作成されたものであるが、甲第四号証の診断書は前示の経緯で訂正、加筆された結果、乙第七号証の四の診断書の記載内容と一部違つたものとなつているのである。しかし、先にみたように、患者を診察することなしに最終診療日以後の症状を変更する内容に訂正、加筆された診断書は、医師の正当な診療行為による診断に基づく患者の症状を記載したものとはいえない。

3  ちなみに、本件事故発生日から最終診療日までの全診療の内容、経過と診断された症状をみると、まず、本件事故発生日である平成二年六月四日に最初に診療した高田中央病院の荏原光夫医師作成の診断書(甲第二号証)によれば、傷病名は「頭部外傷右膝挫創、左足挫創、下口唇挫創、背部打撲、歯牙損傷」と診断され、局所処置及び投薬措置がされたが、被控訴人の転医により同月六日で同病院の診療は三日間で終わり、その間の治療費合計額は八万九八七〇円(自賠保険診療費、甲第三号証)程度のものであつた。そして、被控訴人は転医先の久保内病院において、初回の六月八日から最終回の七月一〇日まで、全通院期間三三日間、実日数一三日の診療を受けているが、右久保内病院の久保内一男医師の診断書(前掲乙第七号証の四)によれば、被控訴人の傷病名は「下唇裂傷、両膝足部擦過傷」とあるだけであり、症状経過等の欄には「H2・6・4受傷、高田中央病院で加療、レントゲンで異状なしとのこと、初診(H2年6月8日)時下唇に縫合創と両膝足部に擦過傷あり、創の加療をH2・7・10までつづけ全治す」との記載がみられ、結局、右両病院を通じての診療期間は全通院期間は五週間、実通院日数一五日程度で「治癒」と診断されている。そして、歯の治療を除く診療費についてみても、高田中央病院の場合は八万九八七〇円(甲第三号証)、久保内病院の場合は三万二〇六〇円(乙第七号証の五)であつて、その金額に対応する治療措置、投薬の程度からしても、さして重い症状の患者に対するものではないものであると推察できる。

4  ところで、平成二年九月七日の時点における控訴人の生活行動をみると、被控訴人本人の供述するところによつても、同人は、九月二日以降、本件事故発生以前(平成二年五月二一日)からアルバイトをしていた焼き鳥屋「鳥笹綱島店」で週二日、一日あたり一日五時間程度のアルバイトを始めるようになつたというのであるから、このような行動ができる身体の状態であれば、まだ多少歩行に支障があるとしても学校の授業(それも土曜日に行われるレトミツクの教科の授業)出席だけは必ず家から直行で自動車に乗つて通学しなければできない状態であつたと認めることは困難である。

5  さらに、被控訴人自身がメモをしていたという、原判決別紙「リトミツク教科の出欠実態」(以下「別表」という。)をみると、被控訴人は、リトミツク教科の授業に出席したのは合計五日しかないことが明らかであり、一〇月六日以降のリトミツク教科に出席できなかつた各日につき、自らが記録に残していた事項として掲げている欠席事由のほとんどは、自動車通学のために依頼した車の運転者(実父または被控訴人が運転依頼した知人)の都合で自動車が適時の発車時間に遅れたとか、途中で交通渋滞のあつたためとか、予定していた運転者の都合で同乗できなくなつた等との調整不足、その他被控訴人の都合(就職先下見のためリトミツク教科の日に幼稚園見学)を掲記している(もつとも、一日は講師の都合による休講であつたが、これは全生徒共取得単位対象総時間に含まれないことになるはずである。)。また、最後の一月二六日は出席したのに講師からこのままでは単位取得できないと注意されたため、その日の授業を欠席としたことについては、これが被控訴人の誤解によるものであつたことを別表の記載により自認している。さらにいえば、実技実施開始日の一〇月六日は被控訴人が他の教科である教育実習の最終日のためにその方に出席したというが、どうして被控訴人側の都合も説明して当該日もしくは時刻を避けることができなかつたのか、別表に掲げる理由では先方の都合によるというだけでは理由薄弱であり、これらいずれも正当な欠席事由にあたらない理由を掲げているものと見受けられる。そして、この点につき弁明をする被控訴人の実父である前掲証人酒井洋吉の証言によつても、同人が自動車運転を予定していた日に同人の経営コンサルタントの仕事が長引いて出発時刻が遅れたり、同教科が毎週土曜日に行われるので運転車が交通渋滞に巻き込まれて学校にリトミツク教科の授業開始時間に遅刻して到着したが欠席扱いになつたとか、あらかじめ依頼していた運転者の都合等で運転手の調整不足等別表の記載に沿つた趣旨の欠席理由を挙げるが、その理由の多くは、特別に学校へ願い出て許された被控訴人の自動車による通学において、当該自動車ないしその運行に問題があつたというのであつて、これだけではおそらく学校側が右授業欠席の正当事由として認めない事項である。殊に実践的な保母の養成教育を目的とする被控訴人の通学する国学院大学幼児教育専門学校ではリトミツクが卒業のための取得単位の必須の教科であることは、事前に学校側から生徒に対してその単位取得につき説明、周知されていたはずである(学校側の回答によつてもリトミツク単位認定基準は総時間の三分の二にあたる時間(八時間)の出席が確保される必要があるとされているというのであるから(乙第三号証)、生徒側でもこれを了知しえたはずである。このように大切な必須教科の単位取得のために被控訴人を自動車に乗せて通学させるというのであれば、土曜日の交通渋滞を見込んで確かな運転手により適時に着くようにあらかじめ早めに手配、発車すべきことは当然であり、そうでなければ、少し歩行の速度に対応した十分の時間を見計らつて電車だけで通学するか、あるいは、電車と最寄りの駅からタクシーを併用するなどの方法により通学する方が定時に学校に到着することができようし、少なくとも授業に遅刻することがないようにできえたはずである。もつとも、被控訴人は当時歩行に支障があつたから自動車以外の他の交通手段は取れなかつたというのであろうが、七月一〇日の時点の症状は前示のとおりであり、また、九月初旬からのアルバイトの状況をみても、被控訴人が一〇月に入つてからも電車通学できないほど歩行に支障があり、特に自宅から学校までの往復を専ら自動車だけによらなければならなかつたほどの重症であつたと認めることはできない。仮に、被控訴人のリトミツク授業に出欠の理由が別表記載のとおりとしてもその記載中にある欠席日のうち発車の遅れや交通渋滞その他運転者の不都合不調整、誤解によるもの等がなかつたら、出席必要日数を充足できたのではないかと察せられる。被控訴人は、一〇月から始まつたリトミツク教科は実技が主なものであるため出席日も見学していたというが、そのような見学であつても、実際にリトミツク教科の時間に出席していれば、被控訴人のできる範囲で手の運動等を他の出席学生と一緒に行つたり、レポートを出すことで単位取得は可能であつたはずである。事実、前記学校側の回答にしても、あくまで出席日数(時間)だけを問題にしており、出席した授業で実技をせず見学していたことを欠席扱いの理由とはしていない。

6  被控訴人はリトミツクの教科単位が取得できなかつたために平成三年三月に卒業できず原級に一年間留まらざるを得なかつたことは学校側も認めるところである(乙第三号証)。しかし、以上にみた事実関係のもとでは、この留年と本件事故による被控訴人の受傷との間に相当因果関係を認めることはできない。

四  (損害額について)

前項にみたところによれば、被控訴人の主張する損害のうち、被控訴人が留年したことによる損害は本件事故による控訴人の加害行為によつて生じた損害とみることはできない。したがつて、被控訴人の請求する損害額のうち、〈1〉留年したことによる逸失利益(請求額四五万円)、〈2〉一年分の授業料通学定期代(請求額三六万二九〇〇円)、〈3〉卒業旅行・卒業式用衣装キヤンセル料(請求額二〇万円)はいずれも認容することができない。しかし、その余の控訴人主張の各損害(ただし、原判決認容金額に限る。)は証拠上本件事故と相当因果関係のある損害と認められるのであり、また、過失相殺についても、いずれも原判決理由中のこれらの点についての説示のとおりであるから、これを引用する。そして、損害填補額は一五万四五六〇円(争いのない事実)であり、本件訴訟の弁護士費用は一〇万円をもつて相当額と認められる。

そうすると、前記本件事故と因果関係があると認められる損害合計額八七万九一四〇円に二割の過失相殺を施した後の金額は七〇万三三一二円となるところ、これより前記填補金一五万四五六〇円を控除した金額に前記弁護士費用一〇万円を加算すると、合計金六四万八七五二円となり、控訴人は右金額とこれに対する事故発生日の後の日である平成二年六月五日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるといわなければならない。

五  よつて、被控訴人の請求は、六四万八七五二円及びこれに対する本件事故発生日の後の日である平成二年六月五日から支払済みまで民法所定五分の割合による遅延損害金の支払を命じる限度で理由があるから、原判決主文第一項中八六万〇三二〇円及びうち七一万〇三二〇円に対する平成二年六月五日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を命じた部分を取り消し、右取消に係る被控訴人の請求を棄却し、控訴人のその余の控訴は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 宍戸達德 伊藤瑩子 福島節男)

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